トルコ旅行記 Part5〜温泉都市ヒエラポリスとパムッカレ、そしてコンヤ〜
“絶対、妊娠してる・・・絶対、妊娠してる・・・”
トルコ旅行の中盤に差し掛かって大きな問題にぶち当たった・・・
でも、妊娠していることが問題じゃない・・・
妊娠しているかもしれないという報告を聞いた旦那が
(  ̄ ̄ ̄ ̄ ▽  ̄ ̄ ̄ ̄ ) 。 o 0 ○ ぽえ~~
↑こんな感じになってしまったのも問題じゃない・・・(少し問題)
問題なのは、持ってきた梅干しを全~部食べちゃったこと ||Φ|(|゜|∀|゜|)|Φ|
持参した茎わかめも全部食べちゃった v( ̄Д ̄)vイエイ
つわりだなんて思ってもみなかったもんだから、具合が悪くなるとカリカリポリポリ食べ始めて、イスタンブールからゲルボルまでの移動中にぜ~んぶ食べちゃった (´・ω・)スマソ
つわり中の私は、梅干しと茎わかめが唯一の命綱・・・
梅干しと茎わかめを食べていると、つわりの症状が軽くなるので、バスに乗っている間はこれがなくっちゃ乗り切れない (TmT)ウゥゥ・・・
しかし、命綱とも言える梅干しと茎わかめがないからと言って、バスは待ってくれません (;´д`)ノマッテェェェ
この日もΣ(;゜*゜)←こんな顔しながらバスに乗り込みました!
この日は、まず世界遺産『ヒエラポリス・パムッカレ』に向います!
ヒエラポリスは、2世紀頃にあったとされるローマ帝国の都市で、温泉保養地として栄えた都市です ( ̄ー+ ̄)キラリ
そしてこれがあの有名な『パムッカレ』
パムッカレはトルコ語で 綿の宮殿” という意味で、この辺りが綿の生産地だったことが由来しているんだって。
パムッカレは温泉保養地ということもあり、温泉が湧き出ています (*゜ー゜*)ポッ
当時、温泉に入って病を療養するために、ここに人々が訪れていたみたいなんだけど、この美しい神秘的な景観だけでも癒されたと思う。
ヒエラポリスは、当時10万人が住む大きな都市で、遺跡を見ると水路を作った跡が残っています。
前のブログでも書いたけど、水路をつくる発想が出来たこと自体、当時の人々がいかに高度な技術力と優れた頭脳を持って都市作りをしていたかが分かりますよね (= ̄□ ̄=;))ナ、ナント!!
ヒエラポリスにも劇場の跡がありました。
1万5000人を収容できる円形の劇場で、演劇を鑑賞するだけではなく、ここでもグラディエーターの戦いがあったそうな ; ̄ロ ̄)!!
ヒエラポリスを堪能し、一行は『コンヤ』へ向いました♪
・・・さぁ、大変ですヽ(;´Д`)ノ
コンヤまで約6時間!!!!!!!!
ヽ(;´Д`)ノヤメテー
またまた Σ(;゜*゜)←こんな顔をしてバスに乗り込みます。
コンヤの街に向かう途中、トルコヨーグルトを食べましたよ (* ̄ー ̄*)
トルコ旅行へ行く予定のある方は食べた方がいいです☆
とっても美味しいです♪
意外なことにヨーグルト発祥の地はトルコなんですよ!ブルガリアじゃないんです!
そして、バスに揺られること5時間以上、、、
どうにかこうにか、コンヤの街に着きましたヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
どうにかこうにか、コンヤの街に着きましたヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3
コンヤでは、『メヴラーナ博物館』を見学します。
ここは、メヴラーナ教団の創始者“ジェラルディン・ルーミー”の霊廟で現在は博物館になっています。
メヴラーナの棺があるために、館内は撮影禁止でした。
正直に言います…はい…。
あまりの具合の悪さにメヴラーナ博物館の館内の記憶がほとんどありません ( ̄▽ ̄;)!!ガーン
つわりの症状はだんだんひどくなり、匂いだけではなく、トルコ人の顔をみるのでさえ辛くなってきました。
後々分かったことなのですが“濃い顔つわり”というものがあって、濃い顔をみると具合が悪くなるというつわりがあるみたいです m(*- -*)mス・スイマセーン
トルコの皆さんのことは嫌いなわけでは決してないので誤解しないで下さい!!!!
次に訪れたのが『インジェ・ミナーレ神学校」
入り口の壁のレリーフの模様が細かく、その壁自体がまさに彫刻の芸術品と言っても良いほどに素晴らしいです☆
この周辺を散策しているとき、現地の女の子達に写真を一緒に撮って欲しいと頼まれ、彼女らのカメラで一緒に記念撮影をしました。
トルコは親日家が多く、街を歩いていると日本語で声をかけられることがあります。
小さい子供から大人まで「コンニチワ!」と挨拶してくれました。
私達も写真を撮っても良いか訪ねると、快くOK♪をもらい、その時の写真です(*^∇^*)ノ*:・'゜☆
良い笑顔っ!!!
トルコが親日である理由の1つに“エルトゥールル号の遭難事件”という話はご存じでしょうか!?
『1890年、今から100年以上も前のことです。
和歌山県沖でトルコの船、エルトゥールル号が遭難し、500名以上の死者と行方不明者を出しました。
生存者は和歌山県の樫野崎(かしのざき)灯台に流れ着き、そこで大島村の住民たちが総出で看病にあたりました。
住民らは、自分たちの食料の蓄えがあまりなかったにもかかわらず、生存者達に食料だけではなく衣服を与え手厚く介抱してあげたそうです。
エルトゥールル号の遭難を聞いた明治天皇は、医師や看護婦を現地に派遣し、回復した生存者を軍艦にのせてトルコに送りかえしてあげました。
また、このニュースが広まると、日本中から義援金が寄せられ、集まったお金をトルコの遭難者の家族に届けられたと言います。』
このような出来事があり、トルコは親日で知られています。
コンヤの街に来てから、日本語で挨拶されたり、日本人だと思うと写真を一緒に撮って欲しいと頼まれることが多かったので、嬉しかったです o(*^▽^*)o~♪
この日は、コンヤの街にある「リクソス」というホテルに泊まりました☆
5つ星ホテルだったので、夕食を食べるレストランに生の演奏家がいたり、部屋から見える景色も爽快で気持ち良く過ごせました☆
後半戦は、いよいよ世界遺産『カッパドキア』です(((((( 8-(* ̄∇ ̄)ノ
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