軽井沢の家作り Part1〜計画のはじまり〜
2010年春、主人の父の呼びかけにより、私達は、ある一大プロジェクトに参加することになった。
長年、義父は、週末を軽井沢か新潟で過ごすというスタイルをとっていて、ある時、軽井沢に好条件な土地を見つけ、購入したことがきっかけで、その土地に自分たちで家を建てようと計画したのだった。
このプロジェクトを聞いた時はとても驚いたが、義父はパワフルでタフ、そして活動的で決断力と判断力に優れている人物なので、義父らしい計画だとも思った。
義父は、思い立つとすぐに行動するので、なんとアメリカへ行き、家のキットを購入し、船でキットを運んだ。
“キット”という響きがまるでおもちゃのプラモデルを組み立てるくらいの軽さにしか聞こえないが、想像して欲しい。
仮にロボットのプラモデルを組み立てるとして、ただでさえ複雑なのに、部品が何百倍も大きく、一人では持ち上げられないほどの重さだったら・・・
いくらキットだとはいえ、自分たちでは(素人)では、建てることが難しいのではないかと内心思ったappmamaだった。
先に結果から言ってしまうが、現在、義父は軽井沢に素敵な一軒家を建て、時折週末、その家を訪れては自分たちが造ったバルコニーでコーヒーを飲み、ガーデニングを楽しみ、飼っている犬達と悠々自適に過ごしている。
これからこの家作りについて書いていこうと思うのだが、その話の前に、義父について触れておきたいと思う。
義父の名は『ミゲール・リーヴァス・ミクー』と言い、スペイン育ちのアメリカ人なのだが、先祖を辿るとスペイン人・フランス人・スコットランド人の血が流れているのだそうだ。
リーヴァス・ミクーの”リーヴァス”はスペインの姓、 “ミクー” は "Micoud” と書くのだが、これはフランスの姓である。
義父は、日本に住んで30年経つので、日本語がうまく、知識人であり、日本の文化や習慣・伝統については日本人より重んじる傾向があり、日本人より日本人らしいアメリカ人である。
義父は執筆家でもあり、2001年に『ルネッサンスー再生への挑戦』というカルロス・ゴーンのベストセラーの本がダイヤモンド社から出版されたが、この本の執筆者の1人でもある。また一昨年 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』という本を執筆し、他にも多くの本の出版に関わっている。
執筆活動をする傍ら、毎週末、新潟や軽井沢へ行き、畑仕事をしたりガーデニングをしたり、新潟の家や軽井沢の家を自分たちだけで改築、増築をしたりと趣味は幅広く豪快である。
そんな義父と一緒に家造りをした思い出を振り返ってみたい。
職業が大工でない限り、人生において家造りを経験するなんてことはそうそうないだろう。
季節によっては、日差しが強く暑く、汗だくになりながら釘をひたすら打ち付け続けた日もあったし、寒くて凍えそうな気温の中、大きなお腹を抱えてペンキを塗ったこともある。
大きなお腹!?・・・はい・・・あのトルコ旅行で発覚した妊娠なのですが、それから数ヶ月後・・・私は臨月でありながら大工仕事をしています。
私のマタニティーライフも一筋縄ではいきませんな。
家作りが始まったのは、私が妊娠する数ヶ月前の2010年5月のこと。
家作りを手伝う為にゴールデンウィークに夫は軽井沢へ向った。
義父が輸入したキットのうたい文句は『2人で3日間あれば建てられる!!』だったので、夫はゴールデンウィーク中に完成させられると意気込み、私はゴールデンウィーク空けには完成した家を見れると思って楽しみにしていた。
そして、ゴールデンウィーク最終日に出来たのが・・・
完成は程遠い・・・
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