震災から2年・・・被災地、山田町の今。
今日で、東日本大震災から2年・・・今朝、私の育った町であり、津波の被災を大きく受けた山田町へ行き、夫と手を合わせてきました。
山田町は、人口2万人弱の小さな町で、カキやホタテの養殖、定置網漁、漁船漁業が有名な港町です。
2年前の3月11日・・・この小さな町に巨大大津波が押し寄せました。
『岩手県山田町、壊滅状態』
ニュースでそう報じられた時、震えが止まらず、家族や友人の安否が心配で仕方がありませんでした。
当時、山田町には高さ10mの大津波が押し寄せました。
その波は防波堤を軽々と超え、家々をなぎ倒し、町をそして多くの尊い命を奪ったのです。
この写真を見れば津波の高さが分かると思います。
家の3階とみられる瓦屋根の部分が壊れているのでこの高さまで波が到達していたと予測されます。
今日、1年ぶりに山田町を訪れましたが、1年前とどのくらい町が復興したのかというと、瓦礫が処理され、半壊した建物が取り壊された程度で、建物や民家が新しく建設されている様子もなく、まだ戦後の焼け野原のような光景でした。
家を建てるにしても、津波が押し寄せたあの場所にもう一度建て直すということは大変難しいのではないかと思います。
町内を歩いてみましたが、
「まさか、ここまで津波が押し寄せるわけがないだろう・・・」
と私でさえ思ってしまう町の中央部まで津波が到達していて、民家もお店も駅も何も残っていない状況でした。
中央部には、“JR陸中山田駅”があったのですが、今や駅舎もなくなり線路もありません。残っていたのは駅のホームぐらい・・・
山田町の被害状況を示す石碑を見つけました。
死者・行方不明者数743人
被災家屋3357棟(2012年1月10日現在)
この被害状況が書かれてある石碑の横には、3時27分を指したまま止まってしまった山田駅舎上に設置されていた大時計が展示してあり、その動かない大時計が当時の凄惨な様子を物語っているようでした。
この津波によって亡くなった人々、大切な命を奪われた家族の為にも、この津波の怖さや教訓を子供達やその次の世代にも語り継いでいき、この出来事を風化させないように務めていかなければなりません。
“千年に一度” と言われる大津波が私の生きている間に起こったということは、そんな使命を課せられた気がしました。
昨日も震災を特集したテレビでおじいさんが
「明治の時にも大津波があったという話は聞かされていたけど、話だけではその恐ろしさが伝わらなかった。だから記録として写真や映像をできるだけ残したい」
というような事を言っていました。
私達も少しでも次の世代に、そして私達自身もこの出来事を忘れないために、沢山の写真を撮っていきたいと思い、今日夫と山田町の写真を撮りに行ってきました。
今日はその一部をこのブログに載せます。
次、この町を訪れ写真を撮る時は、今よりも復興が進み、希望に満ちた町並と笑顔で溢れる人々の写真が撮れますように。
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