私が娘を叩いた理由、夫が犬を叩いた理由...。

4/16/2013 AppMama 0 Comments


先日、私はもうすぐ2歳になる娘を叩きました。
叩いたと言っても、おでこを弾いた程度で痛みを伴うものではありません。
叩いた理由は、娘が食事中にご飯で遊び、おかずを投げ、最終的にお椀をひっくり返したので、その時に “コラっ!!” と思わず娘のオデコをパチンと叩きました。

すると・・・


「何してんの!! どうして叩くんだよっ!?」

と夫が声を荒げ、そして娘に駆け寄りました。
決して・・・決して痛く叩いた訳ではありません。
所詮1歳児・・・本気で叩くなんて、幾ら感情が高ぶっていたからと言っても力の加減をし、痛くないように叩いたつもりです。ただしつけという意味でのアクションでした。

娘は、私におでこをパチンと弾かれたことで一瞬戸惑った顔をし、そして泣き出しました。
私は、その反応も計算済みです。

しかし、夫が “大丈夫〜!?” と娘に駆け寄ったことで、私の計算が狂い始めました。
娘はますます泣き出し、まるで私が悪いかのように駆け寄った夫に、

「ココ!! ココ!!」

と言ってオデコを見せ始めました。
夫が娘のおでこをみて、
「ほら〜、痛かったんだよ〜、ショックを受けてるよ!どうして叩くのさ!!」

と私を叱るので、娘はかばってもらえる父親に泣きながら何度もおでこを見せました。

【私が悪いのか!?】

子育ては初めてのことなので、全く分からないことだらけです。
私は、注意をしても効かない娘の態度に業を煮やし、手をあげてしまったわけですが感情任せに叩いたわけではありません。
ここで私がきちっと叱らなければ、他の人に怒られることだって容易に想像できます。
他の人に怒られるくらいなら私が叱った方が良いと親心で思ってのことでした。

しかし、夫は娘へのしつけ、叱り方について私と違う考え方だということが、ここではっきりと分かりました。
本来、私自身も叩くこと、手をあげることで娘をしつけようとは思いません。
しかし、今回は何度注意しても聞き入れず、ふざける娘に一喝しなければならない状況でした。

しかしアメリカで育った夫は、何故口で諭すことができないのかと私を非難しました。
数分間、私は自問自答を繰り返します。

【私は間違っているの!?】

アメリカでは、体罰や虐待に対してとても敏感です。
例えば、アメリカは法律で12歳以下(州による)の子供を1人にしてはいけないという法律があります。
私が保育園の頃、私があまりに言う事を効かなかった為に家の外に閉め出されたことがありますが、これもアメリカでは虐待、通報の類いになるのです。

そのような社会で育った夫に私は非難の目を注がれるばかりでした。
そんな視線を感じる度に
「いやいや、そうは言ったって、日本では昔から悪いことをするとゲンコツは当たり前なんだよ!」
と思ってしまうのでしたが、自問自答を繰り返した結果、私は叩くことをひどく後悔しました。

その理由の1つは、私はこれからアメリカに移住する身であり、このようなことを公衆の面前でやってしまったら、夫だけではなく周りから非難の目を向けられるでしょう。場合によっては通報されるかもしれません。

そして、アメリカで育った夫は
「子供が叩かれるのを見るのは気分が良いものではない・・・」
と言いました。

そういうものの、夫が甘やかされて育ったというワケではありません。義母に聞くと、夫が幼少期の頃は手が付けられないほどのおてんばだったので、叱る時はきちっと叱り、ルールやマナーをきちんと教えてきたと聞いています。

しかし、それでも私が咄嗟に娘を叩いたことに抵抗を感じたのは、夫がアメリカ社会で育ったから思うものなのかもしれません。

私なんか、公共の場で騒ぐ子供に一喝できない親がいると “しっかりしろよ!!” と思ってしまうので、娘が今回のようにふざけすぎた時は、ゲンコツの代わりにおでこくらいコツンとするのは当たり前だという認識でした。

まぁ、ただ、レストランでもファーストフード店などでも、子供を叩いたり、叱るのではなく感情任せに怒鳴り散らす親がいますが、確かに見ていて気分が良いものではないと感じていました。
親だからと言って、そこまで子供を叩く必要があるだろうか?と疑問に思うことさえあったし、そもそも大勢の前で汚い言葉で子供を罵るのは品位がなく、その親の態度が逆に迷惑と感じることさえあります。

ですから、私がここで夫に注意されることで、私も公衆の面前で怒鳴り声をあげるような母親にならないようにしようと思えるきっかけとなった出来事だったのかもしれません。

もう1つ、私と夫の間で方向性の違いがある問題がありました。

それが、犬の躾について・・・

我が家には9歳と8歳の2匹のトイプードルがいます。
基本、良い子だと思います。散歩中も、他の犬に出くわしても吠えたりしないし、家にいる時も寝てばっかりいるので手がかかりません。
ですから、この2匹と接した人はとても良い子たちだねと言ってくれるのですが、この2匹の犬を躾ける過程で夫が2匹の犬に手をあげるということはしょっちゅうでした。

【夫が犬を叩く理由】

まだ娘が産まれていない頃、この2匹のプードルは私達の子供の様な感覚でとても可愛がって育ててきました。この頃、夫はこの犬達に対してそれほど厳しくもありませんでした。
しかし、娘が産まれると状況が一変します。

私達にとって子供を持つということは初めてのことだったので、娘に悪い菌がついてはいけないと神経質になり娘に犬が近付かないように躾けました。(←あとからこれは間違いだったと気付きます)
そして生まれて間もない娘は2時間おきに起き、夜泣きもひどいものでした。
その為、私達の睡眠もままならない状況に追い込まれ、せっかく寝かしつけることができた娘が犬の声で起きることにイライラしてしまいました。
それに加え、私が仕事復帰すると自宅で夫が娘の面倒をみることになり、一層犬の鳴き声に敏感になりました。というのは、娘が寝ている間しか仕事ができないという状況であり、犬の鳴き声で娘が起きると仕事ができなくなるので、犬の鳴き声にそれまで以上に神経質になっていきました。

しかし、どちらか私は、犬の鳴き声には寛容でした。

“娘が犬の声で起きてもいいじゃない・・・犬を飼うということはそういうこと・・・”

しかし、少しでも吠えると夫は犬を叱り、吠えてはいけないということを教え込みました。

私は「褒めて躾ける」という方法を重要視しています。
褒めて躾けるという方法は、決して甘やかしではありません。
犬の思考回路を良い方向へ導く為の指導法で、多くのドッグトレーナー、獣医が推奨している方法です。
しかし、犬にはリーダーが必要であり、野生の犬やオオカミのように力関係でもって躾をするという考えを推奨しているトレーナーや獣医もいますから、どちらか、夫はこの方法を取り入れていました。
強さをこの2匹に示す為、犬が来客に吠えた時、言う事を効かない時に叩いてダメだということを教え続けました。

結果、この2匹の犬は夫の指示に従う、従順な犬になったのです。

従順な犬になり、他人にこの2匹が良い犬だと褒められても私は何か釈然としないものがありました。ですから、私は、どうしてその躾方法しか行えないのか、そして、その躾が行われる度に私の心がどれだけ傷付いているのか伝えました。
すると…

「どうして犬は叩かず、褒めて躾けようとするのに、なぜ娘は叩いて躾けようとするの!?」

と言われたのです。
そして、娘を叩く私を見た時、そして叩かれた娘を見た時、私と同じ様に深く傷付いたのだと・・・。

【なぜ夫は犬を叩くのか】

夫が犬を厳しく躾けるのには理由があります。
私も、その理由は知っています。

私が娘に手をあげた時と同じ気持ちなのです。
決して憎くて行っているわけではないのです。

“この2匹が、人を噛む様なことがあったらいけない、トラブルを起こしては行けない・・・そうなれば保健所行きだろう”

そして、“家族以外の誰からも好かれる犬であって欲しい・・・”

そんな思いで躾けていました。
世の中には犬が嫌いな人もいます。
そんな人に出会っても、この犬達が吠えたり脅かしたり、怖い思いをさせたりしないことも愛犬家としてのマナーです。
しかし飼い主が全くコントロールできない犬もいて、散歩中にそんな犬に出くわすと私達だけではなく、娘やこの2匹の犬に飛びかかろうとしたり吠えるのでとても危険なのです。

もしも、子供を噛んでしまったらどうなるでしょう・・・

以前、片目のないワンちゃんを連れた飼い主に出会いました。

「目はどうしたのですか!?病気ですか?」
と尋ねると、
「散歩中に他の犬に噛まれたのです。その時、目玉が取れてしまったのです。」
と答えました。

この2匹が、他の犬、または人間を傷つけたり、または傷つけられたりしないように飼い主は犬をコントロールできる力を持っていなければなりません。
それが、自分の犬を守ってあげるということに繋がるのです。

以前、チョビが公園で猫をみかけ、綱を振りほどいて猫を追いかけ、茂みの中に行ってしまいました。どんなに呼んでもチョビは戻ってきません。
公園のすぐ横は車道…その時は本当に生きている心地がしませんでした。
と同時に、私は飼い犬をコントロールする力がないこと、チョビは私をボスだとは思っていないのだとその時思い知らされました。
幸いにも、茂みの中にいるチョビを見つけることができましたが、興奮状態になったチョビは私の声に反応できないことが分かりました。
間違えていれば、チョビは車に轢かれていたかもしれず、私はチョビを守れなかったことを悔やむ結果になったことでしょう。


【考え方のシフト】

私が娘を叩くのを見て夫が傷付いたように、夫も自分が犬を叩くことで私が傷付いていることを理解し、お互いに子供の躾け方、犬の躾け方、双方の考え方を改めようということになりました。
今回の件で、これまで自分が間違っていないと思って行っていたことが、実は不快を与える言葉や言動をしていることがあるという事を気付かされました。
他人の不快な言動を見たとき、その人を非難するだけではなく、自分はどうだろうと胸に手をあてて考えてみることが大事なのかもしれませんね。

それではまた、See You☆

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