私が銃を手にした理由...。

10/04/2013 AppMama 0 Comments

この夏、義父から「銃」を譲り受けました。

・・・「銃」は大げさな表現で、実は “エアガン” です (・∀・;)

「な〜んだ・・・エアガンね・・・(-∀-`; )」

そう思った方! 私達の手元にある“コレ”をエアガンだと思えますか!?

義父がエアガンを購入したと連絡を受けた時に、私は水鉄砲のようなオモチャのエアガンを想像していたので、何ら心配も不安もしていませんでしたが、実際に私達が手にする事になったエアガンのボディーは銃そのもので、構えるとずっしりと重く体全体に緊張感が走りました。

そもそも、このエアガンを購入した経緯ですが、今年は野生動物を見る機会が多く、散歩ですら気軽に行ける雰囲気ではないのです。先日も書きましたが、軽井沢でも猿、イノシシ、そして熊が出没しているので、娘を連れてこの辺を散歩なんて危険なのです。

そこで万が一、野生動物に遭遇しても身を守れるようにと義父が購入してくれたのが、エアガンです。

(↓軽井沢で遭った野生動物についてはこちらの記事をご覧下さい)
>> 子供が喜ぶ軽井沢の遊び場!巨大遊具と広大な敷地が魅力の湯川ふるさと公園!

(新潟でニホンザルの集団に囲まれた時の話)
>> 絶体絶命!? ニホンザルの集団に囲まれるの巻!

ちなみに、このエアガンに殺傷能力はありません。弾はBB弾と呼ばれるプラスチック製で仮に当たったとしても怪我をするような物でもなく、野生動物と遭遇した際に驚かせて山へと追いやる程度の使い道として義父は持たせてくれたのです。

それに、このエアガンで野生動物を撃つつもりなんて毛頭もありませんし、義父もそんな使い方を望んでもいません。ただ、山暮らしということもあり、万が一のことを考えて所持しているという感覚で、これまで動物や人に向けて使ったことはありません。

それに元々、アメリカの銃社会に疑問を感じているし、アメリカ移住を辞めた1つの理由も銃社会に不安を感じていたという経緯もあります。

それがある日、1つの矛盾を感じる出来事がありました。

私達が身を寄せている軽井沢にある別荘は、標高が高い山の中にあり、週末になれば別荘を持っている方が訪れるものの、平日は滅多に人と会う事も車が通るということもありません。そんなのどかな山の中で事件は起きたのです。

夫がノワドワーカーに転身し、娘と犬2匹と留守番をしていたある平日のことー。

白いバンが家の前を通り過ぎ、この別荘から数メートル離れた場所に停車しました。停車した場所に別荘はなく、崖のような場所だったのでその車の様子を見ていた私はとても不審に思いました。

なんだか怪しい・・・。

白いバンから、一人の男性が降りてきました。
その男性、崖の下を見たり、山の中見渡したり、とにかく挙動不振で、なんと!事もあろうか1人で奇声をあげはじめたのです。

「うおぉりゃ〜!!!コラぁぁぁぁ〜〜!!!!」

私は玄関のドアを数センチ開き、その男性に見つからない様にこっそりと覗いていました。よ〜く考えてみると、この家には2歳の娘と番犬にもならない恐がりな犬しかいません。そうこうしている内に、あの男が奇声を上げながらこの別荘に近付いてくるではないですか!!途端、恐怖に襲われたのです。

『こ、殺される〜!!』

ハイ、妄想のしすぎです (-∀-`; )
でも、考えてみてくださいよ、誰もいない山の中で男が奇声を上げながら近付いてくるんですよ!!おっかないに決まってるじゃないですか!!!

私は、玄関にあった鉈(なた)を手に持ち、構えましたが、いざとなったら鉈一本で戦えるのか不安になりました。鉈を取り上げられ、逆に私が鉈で・・・と思ったら、鉈を棚に戻し見えない場所に隠しました。

ひぇ〜!!!どうしたらいいんだ〜!!

その時、目に付いたのが義父がくれた “エアガン” 。
エアガンを手に取り、娘がいるリビングに向い、いつ男が侵入してきても抵抗できるようにエアガンの安全装置を外し、引き金に人差し指をかけ、銃口を玄関に向けて静かにその時を待ちました。

しかし、いくら待っても男が侵入してくる気配はありません。
ハイ、「24」の見過ぎです・・・(-∀-`; )

勇気を振り絞って、リビングからエアガンを片手にデッキに出てみると・・・

「キィーーー!!!」

子猿を背中に乗せた母猿が屋根の上から私を威嚇してきました。
実は、先ほどの男性は猿追いの職員で、猿が別荘地に降りて来たので、山へ還す為にパトロールをしている方だったようです。失礼致しました。

そして、私に威嚇してきているこの猿ですが、職員に追われこの家の屋根に逃げてきたのでした。猿に威嚇されて、危機的な状況であったはずにも関わらず私は
“エアガン” をこの猿に向け撃つ事はできませんでした。

結局、走って家の中に逃げ込み、難を逃れたわけですが、冷静になった時1つの矛盾を感じたのです。

銃社会に反対している私が、身を守る為に“エアガン”を選んだ・・・。

これは実にショックでした。
アメリカで起きている銃の誤射により、子供達が命を落としているニュースをみて心を痛めているのに、結局、私もエアガンとはいえ、銃に頼ってしまったではないか・・・。

先日、アメリカでこのようなデータが発表されました。

『銃の所持と殺人の間には、確実な統計的関連性がある』

銃社会で生活しているアメリカ人の中には、私のような矛盾を感じる人も多いのではないかな〜と思います。銃社会に反対ではあるものの、善人であろうが悪人であろうが銃を所持できる社会の中で
“万が一” を想定し、ベッドサイドにあるナイトテーブルの引き出しの中に銃を入れている人や金庫の中に銃をしまうことで安心を得ている人。

アメリカで銃がなくならないのは、政治的なことが影響している部分が大きいのかもしれないけれど、銃を恐れているからこそ持ってしまう負の連鎖が作用しているのではないかと、身を持って感じた出来事でした。

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