映画【楢山節考】〜食べられて当たり前、寒さを凌げて当たり前の今だから観て欲しい映画〜
朝起きると、今日も雪。寒そうでしょう!?
しかし、私は新潟の寒さで苦になったことがありません。
東北育ちだからかここの寒さにはもう慣れ、−1℃程度であれば、キャミソール1枚+パーカー1枚で平気なAppmamaです。
私が育ったのは岩手県の沿岸部。
雪はそれほど積もらないものの冬の寒さは本当に厳しいものです。この環境で一番苦しかったのは通学です。特に小学校低学年の頃の通学時の記憶は未だに鮮明に残っています。
家から小学校までは約3キロあり、小学校低学年の足で通学するにはとても長い距離でした。歩いても歩いても辿り着かないという感覚で、今振り返ってみると幼い時期によく頑張って歩いたな〜と思います。行きと帰りで一日6キロ歩くのですから...。
しかもこの通学路、山の中にある1本道で低学年の子どもを歩かせるにはちょっと怖いものがあります。声をあげても誰にも届きませんし、熊が出たっておかしくありません。
そんな山道を歩いて通うわけですが、低学年の足幅だとだいたい50分くらいかかってしまいます。まして子供ですから、寄り道をしたり遊びながら歩くので、余裕を持って母は朝の6時台に私を送り出しました。
朝の6時台ですよ!?真冬なんてまだ薄暗く、かなり寒かったのを覚えています。クマは出ませんでしたが、猟犬だとか変質者とか・・・何度も怖い目に遭っていますから、危険だったことは間違いありません。
こんな険しい道を歩くのですから、学校にたどり着くとクタクタになるのですが、とりわけ真冬の通学はかなり厳しいものでした。
ほっぺたは痛さを越して何も感じなくなり、耳はちぎれそうでした。手袋をしていても手は悴んで思うように動かなくなるので、朝一のテストではえんぴつを持てずに回答を書けなかったこともあり悔しい思いをしたこともあります。
ですから、これまでの人生で寒さによる辛い経験というのはこの頃で、これ以上の厳しさを感じた事はまだ1度もなく、逆にこの経験によって寒さに強い身体になったのかもしれません。
ただ寒さはまだ我慢できるものの、これほどの積雪量は経験がない為に大変だと感じることも少なくありません。豪雪地帯なので、雪の降り具合によっては、朝、玄関がすんなり開けられないという事態もあり、除雪機などの機械に頼らなければここでの生活は成り立ちません。
しかし、私は除雪機が扱えないのでショベルでせっせせっせと雪を崖下に落としていきます。とても体力を使うので、雪かきとは言えど、お年寄りには過酷な労働です。
雪かきをしている間、いつも思うことは “除雪機のない時代はどうしていたんだろう” ということ。
調べてみると、雪で道が塞がれて村人が餓死、凍死したというだけではなく、昔からこの辺の集落は、飢餓や貧困によって村自体消滅するような悲劇を繰り返してきた場所だと分かりました。天明の飢饉の際には、いくつもの村が全滅し、江戸時代にも部落全体で餓死し、廃村してしまったという記述も多く見られました。とても過酷で悲劇の多い土地だったようです。
そんな折り、義父が1本の映画を観せてくれました。
『楢山節考』という1983年の映画です。
若き日の緒方拳、あき竹城、左とん平、倍賞美津子、小林稔侍など大物俳優らが出演しています。この映画の舞台は信州のある極貧の村なのですが、70歳になると口減らしの為に楢山へ捨てられるという掟があり、緒形拳演じる辰平は母を背負って山を登り、骸骨だらけのその場所に母を捨てにいきます。なんとも悲惨な内容です。
悲惨なのはこれだけではなく、冒頭から田んぼに水子の死骸があったり、作物を盗んだ一家全員を村人らが女子供関係無く生き埋めにしてしまったり、楢山へ捨てられるのを嫌がり命乞いをする年老いた父親を崖から突き落とすという目を覆いたくなる場面も多く、このようなことをためらいもなくやってしまうことの悲惨さがまた印象的でした。
生き埋めのシーンでは、子供達の叫び声や泣き叫ぶ声が胸を刺し、目も耳も覆いたくなる気分でしたが、この辺りでも飢餓で苦しい時期は、そのようなことが致し方なくあったようです。
私が調べたところでは、1783年の浅間山の噴火により2〜3年間雲が空を覆い、その間は作物が収穫できず、飢餓に襲われ廃村した村もいくつもあったそうです。ある夫婦は、隣村からどうにかこうにか分けてもらった食べ物を自分の子供のうちの1人に与え「これを食べさせるからここに入りなさい」といって土の穴に入れ、生き埋めにしたんだそうです。1人の子供だけでも生きさせたいという思いからだったらしいのですが、結局、家族皆、餓死してしまったのだそうです。
1783年というと、今からたった、たったの200年前のことです。
このような話を聞く度に、私達はどれだけ幸せな時代に生まれたのだろうと、つくづく幸運だと感じます。食べ物にも困らないだけではなく、親を捨てに行くことで悩まなくても良いし、また将来的に自分が山へ捨てられることもなく、また、病気になっても治療を受けられるという状況下にいることは本当に幸せなことで、全く当たり前のことではないのだと感じます。
『楢山節考』を観て、生きられるのに生きる選択ができない苦しさ、辛さ、残酷さから今の私達は無縁だと知り、ここまで築いてきてくれた先人方に本当に感謝しなければならないと感じたし、また、自分の努力次第、やる気次第で人生をどうにでも生きていける時代なのだから、一生懸命生きなければ、頑張らなければ申し訳ないという様に思いました。
この集落近辺には、墓石や石仏が所々にあるので、これまで見かけては手を合わせていたものの、その石仏がどのような背景があって作られたのか分からずにいました。しかし、『楢山節考』という映画を観て、現在住んでいる村や集落のことを調べるうちに、これらの石仏は、飢餓で亡くなった村人を供養する為にあると分かりました。
今の環境では想像しにくいと思いますが、大切な親、愛する子供の命を犠牲にしなければならないほど、大変な時代、辛い時代、苦しい時代があったのです。
東北で生まれ、上京し、夫と結婚したことで新潟のこの地に辿りついたわけですが、このような記述や歴史を知ると呼び寄せられたような気持ち、なんらかの縁があったに違いないと感慨深い思いになります。
これらの歴史を忘れることなく、そしてこれらの事実を子供に、孫に伝えていくことが私達の使命であり、供養でもあるのだと感じました。
『楢山節考』是非、観てください。
原作となった小説もあるそうなので、興味のある方はどうぞ♪
それでは、See you〜☆
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